わたしは自分の人生の主人公か

「これはお前の物語だ」

これは某RPGに出てくる渋いオッサン剣士の有名なセリフです。

ふと自分の人生を「ひとつの物語」と捉えた時、果たして自分はきちんと物語の”主人公”として生きているか、いみじくも脇役に収まろうとしていることはないか、そんなことを考えました。

人生の主人公であるということを私は「人生の主導権を握っている状態」と考えています。ただこの主人公という役が実にやっかいで、それゆえに少なからぬ人たちがその役を諦めてしまうようにも思います。

まずこの主人公という役ですが、この世に生を受けてからとても長い期間、演じることができません。生まれてすぐは親の子どもという役で、その後16~22年間は学生という役を演じることになります。(これは決してネガティブなことではありません。必要なことです。)

学生の多くは「自分の人生をどう生きるか」という答えのない問いに挑戦するよりも、受験や定期試験といった「正解のある問題を正確に回答する」ことで対外的な評価をされます。(受験に向け努力することは、「どう生きるか」と向き合っている面もあると思います。)

最初に主人公役を”やっかい”だと表現したのは、学生役の時には遠い存在だったはずの主人公役が、ある日唐突に、突然に、やってくるからです。それを私たちは「就活」と呼んでいます。そして手渡された主人公役の台本には、一切セリフが書かれてはいません。そう、だってこれは自分の物語だから。決めるのは自分なんです。

ケイスケホンダのように幼い頃からずっと信じた夢や目標がある人には、この主人公役は光り輝いて見えるでしょう。ためらうことなく台本を握りしめ、夢を叶えるために進みます。ドリームズ・カム・トゥルー。

ただ私を含め多くの凡庸な人間は、どうしてよいか戸惑うばかり。その不安は、まるでクイズ番組の巨大風船のようにどんどんと膨らみ、心はグングンと追い詰められます。そしてこう思うのです。「早くこの台本を誰かに渡さなきゃ!」

その結果、私たちの多くはこの大役を引き渡してしまいます。誰に?多くの場合、それは会社にです。最悪なパターンでは、会社の上司に渡してしまう人もいます。そして思うのです。「ふぅ、これでひと安心だ。でもなぜだろう、大切なものを失った気がする。」

会社はあなたの生活水準を決め、住む場所を決め、時間を拘束する権利を有しています。絶大にして絶対の力です。シャブラニグドゥくらいあります。そして、その対価として賃金が支払われます。しかし決してあなたの人生を、幸せを保証してくれるわけではありません。

それは倒産した会社を見れば分かります。ある程度の規模の会社の従業員というのは、自分の会社の倒産をどのようにして知るでしょうか。それは朝出勤したらもう入れなくなっていた事務所と、その入り口の張り紙で知るのです。

最近思うのは、会社という組織に属しながら自分の人生の主人公になることの難しさ。どこまで仕事を優先し、どこまで自分を優先するのか。その狭間で迷うことが多々あります。私には家族もいるので、「仕事・自分・家族」というデルタアタックを食らうこともしばしばです。

それでも歯を食いしばって主人公になるには、今を生きるしかない。自分にとって今この瞬間、本当に大切なことは何かを見極めるしかないと思うのです。これは刹那の快楽を尊重するということではなく、人生の物語に刻むべきことかどうかを重視するということです。

だから、息子の初めての運動会に行けないとか、海外にいてフジロック観られないとか、某シークレットセールで欲しかった商品を買い逃すとか、そういうことはあってはならないのです。(実話)

今、あなたの物語の主人公は誰ですか?会社ではないことを、心から祈っています。(しかし読者諸兄には一定数、この問いにイヤホン(あるいはオーディオ)と答える人がいそうで、それはそれでどうフォローしてよいか、うん、まぁ最高に楽しいならそれでOK!という気がします。)

ではまた。

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